I looked at her as she looked at me:
We looked and stood a moment,

Between Life and Dream.



*

こんな夢を見た。
自分は薄暗い部屋の中で正座をしている。前には布団が敷いてあり、その上に一人の男が閑かに眠っている。
長い髪を枕に散らし、その上に蒼い程白く滑らかな皮膚に覆われた、凹凸の少ない、整った顔を横たえている。欄間から透ける 明かりが、男の顔に光の模様を作っている。瞳は勿論伏せてあり、細く繊細な睫毛を呼吸のたびに揺らしている。
美形ではないが、非道く繊細な顔立ちである。
もし、と声を掛けてみるが、一向に起きる様子が無い。只寝息が薄い唇から漏れるのみである。
そこで男を起こす事は諦めて、部屋を見てみる。畳張りの床はなかなかの広さで、その丁度中央に布団は敷いてあった。 隅の床の間には一輪挿しと、掛け軸が掛かっている。何が書いてあるかは暗くて見得ぬ。
男の枕元を過ぎて障子の前で立ち止まる。障子は開け放たれてあり、のっぺりとした月が夜空の三分の一程も埋めているのが ありありと見て取れる。恐らく、真夜中であるというのに、仄明るかったのはこの大きな月の所為であろう。
障子の向こうには縁側があり、そのまた向こうから虫の声が聞こえる。湿った空気が淀んではいるが、不思議と蒸し暑くは無い。

「障子を閉めてくれ」

自分はさして驚いたわけでもなく、あら起きなすって、と云う。男は、今起きた、と云うと上体を起こし、布団の上に座る格好 になってもう一度、障子を閉めてくれ、と云った。自分は云われた通りに、障子を閉めてやった。
そこで、部屋の中が一層暗くなり、男の顔が陰る程になると、急に空恐ろしく思えて、何故障子を閉めるのですか、と訊いた。 今夜は月が大きく出ていて、それはそれは美しいのに。
男は問いには応えず、今は何時だろうと訊く。自分はこの部屋には時計の無いことを知っているので、知りませぬ、と云う。 すると男は、何時だと思う、と戯れに訊くので、さあもう零時も過ぎた頃じゃありませんのとあしらう。
男はそこで暫く黙り、只障子越しに聞こえる虫の音を聴いているだけの様に思えた。自分も黙って、男の横顔を見ていた。
小刻みに揺れる鈴のような音が一旦止むと、その隙間を縫う様にして男が、夜明けは未だだろうか、と呟く。自分は少し黙って いて、それから、とんと判りませぬ、と応えた。男は目を伏せてから、夜明けは何時だろうか、と訊く。
自分は、現在の時刻も判らぬのにと思い、矢張り、さあ何時でしょう、と判然としない。男は黙って、障子紙に透けるぼんやり とした月の光を見遣って、夜は明けるのだろうか、と云う。
それは明けるでしょう、屹度何時か明けますとも、と云うと、男は此方を向いて、本当だろうか、と疑うので、何故そう御思い になるのと訊くとこう云う。
「俺はこんなに大きな月は見たことが無いし、人に聞いたことも無い。太陽でも斯様に大きくは見得ぬだろう。ならばこの月が、 その太陽を喰らってしまったのではないか、太陽が喰われてしまったのなら、夜も明けぬのではなかろうかと不安なのだ。 夜が明けねば、俺たちは死ぬばかりであろう。月の光の下では、人は生きてはいかれぬ。只寝静まり、死ぬとも生きるとも つかぬ夢の狭間に揺らぐだけだ」
男はそれからもう一度障子の方を向いて、サンチメンタリスムに浸るように、両目をきゅっと細めた。
自分は、どうにも息苦しくなって、男の横顔を見てから、障子越しの月を見、もう一度男に視線を遣って、屹度明けます、 明けぬ夜などありませぬ、と小さく云う。
男が此方を向いて、寂しげな顔で何故そう思うと訊くので、
「月は太陽の光を映して光ると聞きました。一人では光ることが出来ぬものなのだと。ならばこの月はこんなにも光っている のだから、何処かに太陽があるのでしょう。只今は見得ぬだけで、未だ夜明けの頃では無いだけのことなのでしょう。だから、 いつか夜明けは屹度来るでしょう。太陽が現れれば、月も恐れて姿を晦ましますわ」
と云った。男は黙って、此方を向いたままぴくりとも動かぬ。視線を逸らすことも出来ぬままに、只男を見上げていると、 不意に溜息を漏らした。
「屹度、そうだろうか」
屹度、そうですともと自分は語調を強める。男はその様子を見て、射干玉の瞳を細めて、ふ、と微笑った。







*

最近、江戸に上がってきた私は、男の顔をよく見かけるようになった。紙の内に描かれている男は、夢と変わらぬ整った顔立ち をしている。
仕事に出るとき、買い物に行くとき、ぶらりと当ても無く出かけるときも、男の顔を見ては、彼は自ら太陽を探しているのだ、 と思う。夜明けはもう直ぐ其処だろう。



















(060704)    夢十夜、詩(無題) 夏目漱石