べけべんと三味線を弾いていた手を休ませて、女は少し息を吐いた。
廊下をぱたぱたと歩く音は遣り手婆のものであろう。何か揉め事でもあったのだろうか。女は傍らに寝ている男へ向いて、一言謝ってから、御好みはと訊く。
男は銀のつむりを揺らしてから、むすりとむくれて見せて、己の学の無いのを知っての上でだろう、好きにしやんせと云うので、最近覚えたものを弾いてみた。
調子にあわせてゆらりゆらりとふれる、少し長めの頑固な癖毛に思わずいとおしさが増してしまう。女はわずかに笑んで、べけべんと鳴る三味の音にのせて朗朗と歌った。
はでな銀の髪をした男の此処へ来るようになったのは、さして長いわけではないが、売っ子とは云い難い身の女にとって、こう何度も御指名を受けるのは珍しくて、男の顔を覚え、名を覚え、体までもを覚えたのはそう昔のことではない。娼妓になるほどの器量好しではなく、けれども三味やら踊やらで他より秀でていたので芸者になった女は、いまだ男はこの銀の君しか知らぬ。銀の君というのは、男のその髪色のはでなのをからかって女がつけた渾名である。
肩に重みを感じて撥を持つ手を止めると、視界いっぱいに銀が広がった。いつの間にか男が起きて、女にしなだれかかっている。これじゃ立場が逆だわね、と笑うと、振り向いて唇を奪われた。
「枕を貸しとくりゃさんせ」
女の膝に触れながらふざけた様子で男が云うので、枕ならそこに、と清まして云ってやれば、減るもんじゃない、と憎まれ口をたたく。
その拗ねた顔が存外に愛らしかったので、女はなんだか嬉しくなって三味を退かしてやった。すかさず男がごろりと転がる。
「子供みたい」
「男はいつまでも餓鬼みたいなもんさ。それに、子供じゃないって知っているだろ」
膝の上からにやりと口角を上げて笑う顔は、それそのものは悪戯が成功した子供のようなのに、云っていることはまあ随分と大人なことである。女はふくよかな目元を染めて、あさっての方向にため息を漏らした。男は満足げにごろりと寝返りを打つ。
男の目線がそれたので、そっぽ向いた顔を元に戻すと、ぴんぴんと四方に跳んだ髪があった。顔は見えぬが男はきっと目を瞑っている。
そのきらめく銀が、女の紅いしゅすの帯に映えて、一層鮮やかである。ぼうっと見ていると、不意に鼻の奥につうんとくるものがあって、女は唇を噛み、閑かに目を閉じた。
このひとは、きっといまにここに来なくなる。
男の手の届くぎりぎりのところへ置かれた刀を何度恨めしく思ったことか。随分大切そうと云えば、ああ、己の命さ、と返された。
ゆっくりと柔らかい髪に手櫛を入れる。すこし身じろいで、呟くように云った。
「……うたを」
歌を。ともう一度繰り返す。
女は目尻を下げて、くすりと微笑んだ。なんてかわいらしいひとなんだろう。それから、深く息を吸って歌いだす。
末はたもとを絞ると知らで 濡れてみたさの 春の雨
(陸奥宗光)
(061028)
都都逸を勝手に解釈したらできました。この解釈が正しいのかはわからないけど、これって女のひとが詠んだとすると切ないよね、と、そういうね。
皆さんも考えてみてください。わかりやすいんじゃないかなわりと。